生前葬という選択そして遺影

こちらは、「コマツ」こと、小松製作所の元社長である安崎暁さん(80)が日本経済新聞に出稿した、個人広告です。

 

今年の10月上旬に体調不良となって、入院検査の結果、胆嚢ガンが見つかり、しかも胆道・肝臓・肺にも転移していて、医師から手術は不能の診断を受けたと。

 

残された貴重な時間を「生活の質(QOL)」優先にしたいと考えた安崎さんは、延命治療をすべて断ったとのこと。

 

公私ともにお世話になった方々にお礼を述べ、元気なうちに感謝の気持ちを伝えたく、感謝の会を開催することが書かれていました。

 

 

 

この感謝の会は今月11日すでに開催され、車椅子姿で記者会見まで行われましたが、広告が出た直後からSNSでも話題になり、私もFacebookでシェアしました。

 

なんて潔い。

 

ジタバタしない生き方をされてきた方なんでしょうね。

上に立つ人としての決断力もあったのでしょう。

 

お金があって名が通ってないとできないことですが、自分のことは自分の意思で決める、究極の終活ですね。

 

 

ここまでのことはやりたくてもできないし、やりたいとも思いませんが、わが身に置き換えると、いなくなった後で元気で明るい(できれば綺麗な)姿を焼き付けておいてほしいとは思います。

 

それには身近な実例があります。

 

私の祖母は、4年前に97歳で亡くなったのですが、遺影は40年くらい前としか思えない集合写真からの引き延ばしを自ら選んでいました。

最期はかなり痩せていましたが、湯灌(ゆかん)で頬にも詰め物をして綺麗にしてもらっていたので、不思議と遺影との齟齬は感じませんでした。

※湯灌・・・安置しているご遺体の身体や髪を洗い清め、化粧を施し身支度を整える儀式のこと。

 

このことは終活セミナーでよく話していますので、聞いたことがあるという方がおられるかもしれません。

 

祖母の場合、エンディングノートに書かずとも、自分の見送りについて言葉で伝え、お金も残していたので、家族が選択に困ることはほとんどありませんでした。

 

 

私の最期に見送ってくれる人がいたとしたら、遺影を託し、湯灌をお願いして、その費用を遺しておきたいと思います。

 

遺影は、60歳になったときに最高の1枚を撮り、節目に気が向いたら撮り直す。それまでの予備として集合写真から選んでおき、引き延ばしてもらうことに今決めました。

 

ということで、私のリアル終活ノートは遺影からとなりました。