昨夏『おはよう朝日です』に出演したとき、"51歳(当時)の若さで終活を始めた人"と紹介された私がいうのも何ですが、若さというのは、人生の折り返しを過ぎた者にとって、何物にも代えがたい眩しくて尊いもの。
しかし、希望に満ち溢れているはずの絶頂期に、当たり前の毎日が長く続かないことを知ったら...残酷です。
オーストラリアの27歳の女性(ホーリーさん)が亡くなる前に遺した手紙をご家族がFacebookに公開し、たちまち数十万件シェアされたそうで、ここで紹介するのはその内容に考えされられた方(執筆者)が少しでも多くの人に彼女の声を届けようと、内容を抜粋して日本語に翻訳し記事にまとめたものです。
記事名『27歳の女性が亡くなる前に残した、すべての人が読むべき手紙』
孫引きになりますので、ここに貼り付けることはしませんが、ぜひ上のリンクから読んでみてください。
※上の画像をclickしても、同じ記事に移動します。
英語の読める方は、記事の下部に貼り付けられた英文も。
読んだ人それぞれの響くフレーズがあると思いますが、若さにフォーカスすると切ない一文が入ってきました。
毎日を生きることは、与えられた権利ではなく贈り物なのです。(記事本文より)
そうだとすれば、私は彼女の倍近く贈り物を受け取ったことになります。
震災以来「(自分は)生かされている」という言葉をよく目にするようになってもなお、長寿を信じて疑わない私は、生きること前提で”人生は他動的”と考えるようになりました。そこから、何かをやるためにこうなった、起こったことはすべて意味がある、ととらえることで、一時の感情に流されることなく、大方のことは受け容れるようになったのですが、達観したのではなく、折り返し地点まで生きてきた者が来た道を帰るくらいのお気楽な楽観主義者になっただけに思えてきました。
やりたかったことやなりたかった未来像を、感情に流されずに自分から放していき、人へ置き換えていくまで、27歳のホーリーにどれだけの葛藤があったか。
いろいろ考えさせられる手紙です。
終活って、年齢に関係なく、今ここを後悔のないように生きることなんだなーと感じます。
私の終活ノートは、今のところ、振り返ることよりこれからやりたいことが多いのですが、一方では、人はなかなか死なないけど、あっけなく死ぬものと考えているので、心身ともに元気なうちに、ふたりでもひとりでも自分らしくいられるような折り返しの帰り道を描いていきたいと思います。
(蛇足)
書いているうちに"折り返しの帰り道"という言葉が降りてきたのですが、人生100年時代の50歳って終活を考えはじめる適齢期なのかもしれません。