家長として生き抜くということ

画像は、滋賀県大津市のある火葬場です。

 

私事ですが、3月2日、義父が逝きました。

 

4年ほど前から、脳梗塞の後遺症による入院生活で、回復リハビリの期間後は、ほぼ寝たきり。

嚥下障害のため、胃ろうを造設し、発声もままならなくなってからの意思疎通の手段は筆談とジェスチャーのみで、家族にとっては見ていてつらい状況でした。

 

 

亡くなる3時間ほど前に、病院から「(義父の)呼吸が苦しくなってきたので来て欲しい」との電話があり、夫と待ち合わせて出立の準備をしていた矢先の報せでした。

 

思えば、自分は思うように動かない身体で、介護される立場になりながらも、筆談で話すことと言えば、介護施設に入居する義母の心配や、帰省した義妹が無事帰ったかどうかなど、最後まで家長として生き抜いた義父でした。

 

夫と義妹は、義父が倒れてから最期まで、子としてできる限りのことはやったと思いますが、唯一、後悔があるとすれば、自宅に帰りたいという願いを叶えることができなかったこと。

それも情況を考えると、致し方ないと観念しています。

 

 

ただ、見送った後は段取り八分~九分ですね。

 

職業柄、相続手続きはできても、病院からへ引き取りにいってからの段取りは知らず、かろうじて互助会の積立てがあることだけは知っていたので、病院から提携の葬儀会社に連絡してもらい、その後は葬儀会社の主導のもと、夫と2人、義妹が合流してからは3人で粛々とすすめました。

 

終活セミナーでは、エンディングノートの必要性や有用性をお伝えしていますが、家族にとっての有用性を身をもって実感しました。

 

 

長くなりますので、続きは後日分けて書きます。